◆別名:
◆所在:
新城市作手鴨ヶ谷門前
◆交通:
◆歴史:
南北朝時代、上野国甘楽郡(現在の群馬県南西部)一帯に勢力を保っていた奥平氏は南朝方に属していた。
奥平氏の外戚である山崎氏は近隣に領地を構えていたが、北朝方に追い出され、同じ南朝方に属していた作手の地へと落ち延びた。
奥平氏八代目の貞俊の時代には南朝方の衰退が著しく、奥平氏も甘楽郡を追われ、山崎氏を頼って作手の地へと落ち延びてきたが、北朝方の追及も厳しかったようで、応安3年(1370年)当時の将軍であった足利吉満から御朱印を受けた甘泉寺に居を定めたと言われている。
その後、貞俊は川尻城を築き作手一帯を支配するが、武田、徳川、織田の抗争に巻き込まれ、長篠城の籠城戦を経て、江戸時代には徳川御連枝として、子孫は作手藩主などの大名となっている。
城主に加藤源左衛門などの名前を見る事ができるが、奥平氏に仕えた人物である事以外の詳細は不明である。
◆現在:
甘泉寺とその裏山が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。
甘泉寺境内には長篠の合戦で磔にされた鳥居強右衛門の墓が存在する。